メダル
前回の要点。要するに,「事前の評価が「過大」すぎないか」「選手に対する能力・分析は「評価」たるべきであり,「期待」と履き違えていないか」,ということです。「単に騒ぎすぎ」という雰囲気も影響大でしょう(それに尽力しているのが民放)。ちゃんと「評価」してて,選手が競技で「それ相応の成績」を納めているなら,問題ありません。
そこらへんに関して。
試合前までは「メダル有力」「メダル期待」とかさんざん叫びながら,予想外に不本意な成績で終わった時,「がんばったからいい」「それなりによかった」旨の表現へ急に変わることをよく見受けます。もちろんメダルを逃したのは残念かもしれないし,期待に反して不振に終わった選手を批判するつもりはありません。でも,競技が終わってから「参加することに意義がある」といったような評価だけというのは,ちょっとムシが良すぎませんか。それならば,最初の時点からそう論じておけばいいでしょう。そもそも「競技」たるもの,例え「4年に一度の祭典」であるからとはいえ,全てが全て「参加すればいい」に収斂してもらっては,意味ありません(「参加だけでいい」なら私を出せ)。さらにヒドい場合。試合前まではほとんど触れることもなかった,「コンディションが悪かった」「他の選手が良すぎた」「他の選手の妨害された(これはあまりストレートに出てこないけど,解説者がいうことが多い)」旨。こんなの問題外,単なる「言い訳」。
どうもこういう,いわば「いい加減な感想・見解」というのは日本的な「ヘンな同情心」,換言するとシロクロはっきりは論破しない「曖昧さ」に由来してるのでしょうかね。確かに,相手を論理的に批判・評価することは無味乾燥としていて人間味に欠けると見るならば,そのような「曖昧さ(曖昧な姿勢)」も一概に悪いとは言い切れません。ただやはり,ここは「競技」,結果を追い求める場な訳ですから,時としてしっかりした論評も必要ですよ。相手は其の分野の専門,それ相応の結果を求め,また求められている訳ですから。


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