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August 31, 2006

500系

 JR西日本の500系(「のぞみ」用)が来年,東海道新幹線から撤退するというニュースが発表されました(ココ)。既存の鉄道車両の概念を打ち崩す形で導入された「超特急」も,わずか10年で第一線より退くこととなりました。ただし全面引退ではなく,来年以降は新大阪以西の山陽新幹線で,「ひかりレールスター」に類似する形で「300km新幹線」として活躍する模様です。
 主な理由として挙げられたのが,「居住性」。あの飛行機(旅客機)を思わせる円形の客室は,確かに登場時より居住性に批判的意見も呈されていました。円形であるがゆえに,窓際席部分では壁がせり出すような形となっており,非常に圧迫感を与えます。かつて新大阪から名古屋へ急いでいた時,「次にくる列車なら何でも可」と窓口で購入した切符で乗った列車が「500系」。わずか40分足らずの「旅行」でしたが,件の窓際席で圧迫感を味わったことがあります。
 ですが実際には,先の新聞とは逆に,500系の性能を東海道区間で十分に発揮できなかったという事情の方が,より本質的理由ではないでしょうか。東京~博多を結ぶ新幹線は通常,「東海道・山陽新幹線」と称されています。「東海道」と「山陽」と区分されるのはその管轄がJR東海・JR西日本に分かれているからでもなく,ましてや開業時期の違いによるものでもありません。両者の違いは,本線(営業線)の「半径」の差にあります。東海道区間が最小半径500m(山陽が確か2000m)で建設されていることから,運行列車の最高速度は振り子式を導入しない限り,300kmとなることは不可能でしょう。500系があくまで山陽区間を基に開発されたために,この点が「アキレス腱」となったしまったのでしょう。
 東海道新幹線はJR東海,のみならず全JR路線=日本のあらゆる鉄道路線において,最も収益を上げている路線です。JR東海は現在,収益維持・拡大のため「東京~大阪間300km実現」を目指しています。そのためにダイヤ編成の上で「足かせ」となる500系は,もはや「用はない」でしょう。そもそも,JR西日本の手によるものですし。 0系と100系は既に東海道では見られません。しかし500系がこれほど早く同じようになるとは,いささか予想外でした。

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August 30, 2006

女性専用

 先月とあるニュース番組で,首都圏JRの「女性専用車両」が取り上げられていました。利用者(女性)の感想としては,実際に利用するか否かは別として,全体的に好評のようです。「混雑時にも安心して乗車できる」「痴漢などに怯える必要がない」が,大半の見解のようでした。
 ところが,実際に好意的に利用されているかというと,必ずしもそうではないようです。その際たる理由は「面倒くさい」。つまり,編成の末端部分(10両編成車だと1号車か10号車)に連結されているため,出札口・通路から遠く,昇降時の移動が「面倒」,という訳です。そのため,インタビューへの回答の中には,「もっと(編成の)中ほどに連結して欲しい」,また「(女性専用だけに)弱冷房にして欲しい」という意見もだされていました。

 ちょっと待ってください。「弱冷房」はさておいても,「中ほどにする」必要まであるのでしょうか。もちろん,そんな必要はありません。どうも趣旨を履き違えている方々が最近,増えつつあるように思います。

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August 25, 2006

不法投棄

 不法投棄はいけません・・。

↓某所より借用
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August 24, 2006

郷土特産品

 一時帰省した折に購入,久々に食べました。噂によると,どうも「中京地区限定」なのだそうで。小さい頃からありふれた存在だったので,特に気にしていませんでしたが,見知らぬ人からすれば,珍しいかもしれません。その環境にいると,「それが当然」と思いこんでしまっていることは,多くあるものです。
 なお,このパンの詳細は,「天才クイズ」でおなじみの「敷島製パン」のHP(ココ)へどうぞ。

↓でも確かに美味しい「名古屋銘菓」の一つ。おみやげにどうぞ(笑)。
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August 23, 2006

尾道

 尾道と福山に行ってきました。両市ともこれまで帰省の折,何度となく通ることはありながらも,国道2号線(もしくは山陽道)単に「通過」するのみ,まともに街中を訪れたことなどありませんでした。
 それでも福山は,新幹線で乗り換えの際に,ホームから見える景色を眺めたり,あるいは国道沿いの「吉野家」や銀行に立ち寄ることがあった程度でした(数年前まで,今住んでいる町に「吉野家」がなく,東方向で最も近い店があったのが福山)。尾道に至っては,国道2号線をご存知の方ならすぐにお分かりの通り,バイパスが市街地を完全に逸れているため,中心部に近づいたことさえありません。
 「尾道」といえば「ラーメン」,よい機会なので「本場」で堪能しようと思ったところ,行く店全て「休業」・・。商店街の方に尋ねたところ,「お盆の都合」とのこと。今が尾道でお盆なのではなく,お盆の時期におそらく休みナシで営業していたのでしょう。そのお休みを今取っているようでした。暑い天気の中,街中を歩きながらお目当てに遭遇できないことには,多少苛立ちを覚えました。しかし怒ったところで始まりません。やや自省しつつ,次の機会に期待することとしましょう。

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August 22, 2006

落雷

 今日も相変わらず蒸し暑い昼間でした。図書館から出てくると,突然大粒の雨。いつもの「夕立」かと思いつつ,部屋に向かうと,雨量(雨力?)はエスカレートしていきました。屋内に入った頃には,トンでもない勢いの雨でした。
 特に気にせず雑用をこなしていると,次第に雷音が轟く始末。コピー室でコピーしていた時のことです。それまで数発の雷音が響いていました。手を休めて窓の外を眺めていたところ,「!?」 窓から150mほどの距離でしょうか。東側の駐車場近くの街路樹に,突如落雷。

 遠い山などに落ちるのは何度も見たことありますが,目前での落雷は初めてです。まるで真っ暗な部屋の中でストロボを放ったような閃光と,ものスゴい音。落ちた木は,何かを吹き飛ばした後,しばらく燻っていました。

 ところでその現場,南側は駐車場になっています。落雷の数分前まで,とある学生が大雨の中,傘をさしながら車の回りで何か(荷物整理?)していました。その学生が発って数分後に先の落雷。数分遅れてたら,大変なことになっていたかもしれません。

 一部始終を眺めて感じたのは,「落雷は決して高いところだけではない」。その街路樹,周りにはもっと高い木もあり,特に特徴はありません。つまり,「落ちる時は落ちる」。皆様,気をつけましょう‥。

↓落雷によって吹き飛ばされたのは幹
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August 21, 2006

忠魂碑

 実家近くの支所(今は「コミュニティセンター」というらしい)の敷地内に,忠魂碑があります。小学生の頃,毎年初夏に催されていた「構内写生大会」の場として,学校から徒歩20~30分に位置するこの支所がよく選ばれていました。描く対象は敷地内のものであれば何でも可という条件です。そして5年生の時,知り合いの女の子が,敷地内隅に建っている「忠魂碑」を描いて,優秀賞(のようなもの)を描いていました。
 この選定の背景には,もちろん政治的なものはありません。単に絵が上手く,構図・配色など申し分のない秀作だったからです。この忠魂碑,小さい頃からここを遊び場の一つとしていた私にとって,その存在は周知のモノでした。しかし刻まれた文字など読んだこともなく,それまで「登るのに面白い遊び場」の一つでしかなかったその石碑の実態を,その写生大会を契機に始めて知ったものです。
 忠魂碑は読んで字の如く,戦没者の慰霊を目的に建てられたものです。刻まれた内容を読んでみると,太平洋戦争期に徴兵された人々が大半のようですが,碑文によっては「明治二十七八年戦役」(日清戦争)や「明治三十七八年戦役」(日露戦争),「満州事変」に限定されている物も存在します。
 この忠魂碑を思い出したのは,先日の靖国論争の中で「戦没者の追悼」が声高に指摘されていた最中でした。あの文脈からするならば,やや乱暴な構造ではありますが,靖国神社と「忠魂碑」は,とりあえずは仲間といえそうです。
 ところでこの「忠魂碑」,宗教的存在なのでしょうか?あるいはより限定して,神道のものなのでしょうか。

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August 19, 2006

ヤスクニ

 首相の靖国参拝により,今年も激しく議論が高騰しています。
 私自身としては,(1)「戦没者」に対する慰霊の必要性と,(2)政治指導者による慰霊行為,は何ら否定しておりません。むしろ必要と考えています。しかし,昨年書いたことと同様,問題はそのあり方です。なぜ靖国神社でなければならないのでしょうか。
 一般的に指摘されてている根拠として靖国神社は,(1)戦前より一貫して「国のために命を捧げた人々」を慰霊する施設である,(2)特に第二次大戦中の兵士は靖国に奉られることを希望している,が挙げられています。むろんここには異論も呈されており,(1)「戦没者」としながらも(明治以降の)全ての軍人が対象ではなく,また戦争罹災者などは合祀の対象外,(2)全ての軍人が靖国への合祀を希望している訳ではない,などがその例でしょう。
 「参拝賛成派」の論拠の中には,「死んで神とされるのは日本の伝統」だとか,(A級戦犯の分祀について)「分祀は神道のあり方から見て不可能」というものがあります。特に後者に関しては,「死者を区別することはありえない」という論理によるものです。最終的に「伝統」「神道」という事情を出されてしまうと,議論が行き詰りかねないのですが,「日本(人)」=「神道」という完全一致の,論理を超越した「観念」がそこには存在するのでしょう。
 ところで,靖国(とその慰霊のあり方)は「宗教行為」なのでしょうか。昨今見られる議論では,この部分を掘り下げて検討しているものは,あまり見受けられないようです。もし「神道は日本人の感性そのものであり,宗教ではない」という「究極的な見解」によるならば,靖国問題は「解決」したといわざるを得ません。感性=心=生き方そのものな訳ですから,議論の余地がないからです。
 ただ「参拝賛成派」の中では,このような見解は少数派なようです。一応は「宗教施設」として認めているのでしょう(「死者を弔う神道独自の方法」という捉え方は,「儀式」のあり方を論じている点で「宗教行為」ということは可能。また現に,靖国神社そのものは「宗教法人」なので,その行為も「宗教行為」として見なすのが妥当)。だとすれば,神道側が一度合祀した「英霊」を「取り消すこと」はできないという「内情」は理解できるとしても,いささか「不条理な余地」を抱かずにはいれません。すなわち,「非神道=異教徒」の扱いです。
 神道は異教徒に対しても寛容なのでしょうか。「宗教を超越した感性」ならば,異教徒を包含することも可能でしょう。しかし神道が異教と「葬祭の併用」を認めてはいないようなので,結果的に「慰霊」も併用も不可能なのではないでしょうか。とするならば,少なくとも合祀の対象に仏教徒やキリスト教徒などの異教徒を含め,その分祀をも頑なに拒否し続けているのは,いささか「奇異」というものでしょう。

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August 18, 2006

御嶽山

 長らく帰省しておりました・・。
 12日,久々に開田(長野県木曽郡)まで足を延ばしました。帰路,「行きとは違う道を通る」のが鉄則,国道とは異なり旧道の地蔵峠を越えていきました。
 先の大雨で沿道には爪跡がまだ多く残っており,不安を覚えつつも峠手前の展望台からは,雲の合間に御嶽山。久々の眺望に,しばし時を忘れて見入っていました。

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August 04, 2006

岐阜

 岐阜県が,少なくとも90年代後半から裏金を工作し,そのうち処置に困った一部を「焼却処分」した問題が4日,明らかになりました。もともとは官官接待用のために各部署から捻出するなどし,98年の時点で4億4000万円が存在していました(『読売』06年8月4日)。「組織ぐるみ」というのは,捻出方法が課・室単位でおこなわれていた(『読売』06年7月6日)だけでなく,その「保管」も組織・個人の双方で「分担」されており,最終的に組合名義の口座に集約された点(『読売』067月7日)からでも明らかです。
 実はこの問題,焼却処分が表面化する数ヶ月前から既に警察の捜査対象となっていたようです(『読売』06年7月8日)。今回の「処分」はその捜査とは直接関係はない模様(1998年頃からあったらしい)で,「証拠隠滅」とは別に,単に「保管に困った」という理由のようです。
 ・・にしてもこの出来事,単に「保管に困った」ということでお金を「処分」,しかも不明瞭な「購入」「寄付」に留まらず「焼却・廃棄処分」とは,もう開いた口が塞がりません。罪になる以前に,役所として「問題外」です。
 かつて都道府県の序列(「住みやすい都道府県」とかいうもの)で岐阜県は最下位で,当時の知事がクレームをつけていましたが,いまや「常識度」で最下位でしょう。

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August 03, 2006

成れの果て

 プール取水口に子どもが吸い込まれて死亡するという,通常なら「あり得ない事故」が発生しました。その捜査過程で明らかにされていくのが,管理・運営側の「杜撰さ」と「責任転嫁」,あと「無能さ」もでしょうか。
 委託先がさらに下へ委託すること自体,尋常ではありません。「孫受け」側も市の担当者には身分を詐称していたようで,多少なりとも「後ろめたさ」は感じていたようです。
 その「孫受け」側,社長自ら「プール管理を専門として」とのたまっていました。その割には,(1)実際に雇用していた監視員がプールの構造を分かっていない,(2)非常時の対応策を講じていない,(3)監視員が水着を着ていない‐,これらの時点でいずれも失格。
 まず,流水プールに限らず,取水口・出水口に子どもが興味を持って近づいてくることなど,極めて可能性の高いことです。ましてや今回のプールのように子ども向けだと水深も浅いので,なおさら近づきやすい構造とならざるを得ません。ところが今回の管理・運営側は,それを全く分かっていないご様子。その証左の一つが,取水口の構造でしょう。一定以上の直径(子どもの手足が挟まらない程度)であれば,取水口に二重の柵・網を設置しておくのは至極当然,常識なことです。
 かつて私自身,(1)小学生の頃,友人たちと取水・出水口で遊んでいた経験があります。通常のプールでさえも近づくと吸い寄せられる(これが子どもには楽しい)訳ですから,流水となるとなおさらです。(2)実際,取水口に足を吸い込まれて溺れかけたという「事故」を当時何度も聞きました。そのため,屋外プールの場合は,枯れ草などが詰らないように常に掃除をし(詰まり物を取った子どもの手が急に吸い寄せられるという事故があった),また取水口の網(板)も,簡単には外れないような頑丈なものにしていました。
 にも関わらず,固定用のボルト部分を修理しないばかりか,単に針金で固定していた始末。しかも監視員がその構造を理解していません。研修など「業務外のこと」は「自給が発生するからやめていた」云々。「プールの監視員」は,一体何のためにいるのでしょうか。
 この事故(「殺人事件」といっても可)は,単に「マニュアル」だとか「規定」,「責任」という時限のモノではありません。単に「常識」,「取水口が開いたらどうなるか」を認識できるかという,至極単純なレベルのものです。柔軟な発想があれば問題が発生した時点で,考えなくとも動けるはずです。
 どうも最近の日本には,今回の当事者のような「経験が乏しく」(=「経験」からすれば「常識」は分かるはず),「考える力が不足」している連中が,とにかく多すぎます。何やら,日本の成れの果てを象徴しているような出来事です。

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August 02, 2006

昇降機

 某パルコでエレベータに乗った直後,突然の振動とともに停止で,「今しばらくお待ち下さい」旨の放送・・。1階から乗り込み,7階に向かう直後のことでした。よくあるBGMはそのまま流れ続け,室内灯もそのままなので,停電ではないようです。もしや?と思いつつメーカー名を探すと,国内某大手メーカーで,幸いにも件の企業ではありません。
 とりあえずは非常ボタンで外界に通報。警備員の方に状況を伝え(結局は「しばらくお待ち下さい」程度の反応しかない),また待つこと数分。振動が再び訪れ,扉が開いたと思ったら,地下2階。
 要するに「エレベーターに閉じ込められた」というのは,今回が初です。密室の中では,状況がよく分かりません。1階から7階に向かっていた途中,そんなに動いていないはずなのに,結局は地下2階と,動いていたことすら感じ取ることができない状況は,やはり不安を感じざるを得ません。
 加えて,ただ空しいだけのBGM。平常時には特に気になりませんが,緊急の際にインターホンを使う場合には,j外からの声が聞き取れず,非常に邪魔です。
 原因はよく分かりませんが,ちょうど激しい夕立が来た時と重なっているようなので,どこかの落雷のせいでしょう(と思っている)。しかし最近のエレベーター事故のせいもあり,妙に敏感になっています。

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August 01, 2006

八月

 先日徹夜で朝まで作業をしていた時,明け方にも蜩(ヒグラシ)が鳴いていることに気付きました。夏の風物詩たる蜩の音を耳にすると,小さかった頃を思い出します。

 毎年夏休みになると,長野(木曽)の祖母宅に遊びによく行きました。頃はお盆の直前,12日前後からです。この辺りでは13日に「迎え火」を家の前に焚いて先祖の霊を家に招き,お盆明けの「送り火」(通常16日朝)まで「お盆」を過ごします。今でこそ「環境云々」でなくなってしまいましたが,「送り火」の際にはキュウリやナスなどに,半分に折った割り箸を4本刺して,それを川に流していました(これの名称は失念)。祖母宅の裏手側を下っていったところ(途中で中央線と国道19号があるけど)に大きな橋があるので,その橋の上から従兄弟連中と一緒に投げに行っていました。そのときだけは,川で遊ぶ(特に泳ぐこと)は「×」とされていました。

 お墓では「濡れた米」(炊いたもの?)と野菜(キュウリ・ナス・トマトなど)を混ぜたものを朴の葉に乗せ,墓前に供えます。自宅では,ヒノキやサワラなどで2段式の大きな棚を作ります。3種の山草(失念)で飾りつけ,仏壇の前に置いたその棚の上へ,位牌を移します(このあたりの家は位牌が多いため,人目で見えるように並べるのはこの時しかない)。仏前のお供え物と,終日明かりを灯された岐阜提灯で,仏間は一時だけ派手になります。

 街の中にはいたるところに沢が流れており,いつも水の流れる音が聞えてきました。夜になり,皆が寝静まった後は,家の横にある沢の音が家の中にまで響いてきました。運悪くその沢は便所(母屋から5~6mの渡り廊下でつながっていた)の横を流れていたので,夜に便所に行くことはムリでした。そもそもこの家,当時で築百年以上の旧家,地下の井戸や吹き抜けの囲炉裏,20数畳の納戸などだだっ広い造りだっただけに,子どもには不気味な造りでした。

 昼間,家の中では大人連中が高校野球,子どもたちは外で山遊び・川遊び。出かける時には祖母・伯母などの合言葉,「ヒグラシが鳴き止んだらご飯」。夢中になって遊んでいると,いつの間にかヒグラシが鳴き始めていて,またいつの間にか鳴き止んでいました。

 その後その家は建て替えられ,祖母も亡くなりました。川で遊ぶ子どもたちも,今はほとんど見かけません。でも毎年,ヒグラシは鳴いています。

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